校歌を歌う?歌わない?

入学式、運動会、卒業式などで必ず歌わされる校歌。

あれ、どのくらいの生徒が真面目に取り組んでいたのだろう。

「いや普通に歌うでしょ!」という人もいれば、「そもそも校歌知らないから歌えない」という人もいて様々だ。

 

小学生は声の大小あれど歌う人の方が多かったのではないかと勝手に推測する。小学校は音楽の先生だけでなく、担任の先生まで「ちゃんと歌いなさい」と目を光らせているイメージがある。だから嫌でも口を開いて歌うだろう。

 

ところが中学生に上がると、個人差が開くと考えている。大抵は体育館のステージ側の上壁にどでかい校歌額が飾られていているため、歌う人はそれを見ながら歌う。歌いたくない人はたまに口を開くか、終始口を閉ざすかして時間を持て余している。この頃から歌わない方がかっこいい的な考え方すら生じてくるらしい。

高校生になれば「校歌を歌ったことがない」もしくは「知らない」という人もざらにいた。

 

私はどちらかと言うと歌っていた方だった。別に歌いたいという感情は一切なく周りに合わせる形で小さな声を出した。そういう生徒の方が多いかもしれない。なにしろ「校歌斉唱」と聞いて瞳を輝かせながら歌う生徒が沢山いるとは思えないからだ。

学校の決まり事だから仕方なく歌う。先生に怒られるから歌う。一方面倒くさいから歌わない。むやみに声を出したくないから歌わない。いずれにせよ積極的に歌う生徒は進学するごとに減っていく気がしている。

 

これは歌うから良い、歌わないから悪いという話ではない。

小学校、中学校、高校、それぞれの校歌斉唱の場面で、個人差又は価値観の違いを感じたのを覚えている。はっきり歌うのが当然というように歌う人もいれば、済ました顔で口を閉ざす人もいて、同じ場所同じ立場に立っていても、物事に対する向き合い方は人それぞれなのだと身をもって感じたことを思い出した。

 

何にどんな思いを持って取り組むかは人それぞれ。学生生活をどう過ごすかもその人次第。する人、しない人の意思が感じられる機会は、何も校歌だけではない。

ふと周りを見渡して各々の選択を観察する機会は、案外身近にあるのかもしれない。