結局“無音”

好きな音楽を聴きながら勉強する。森の音を聴きながら運動する。その他ASMRなどの面白い音を聴きながら眠る。

集中やリラックスの仕方は、まさに人それぞれ。

音楽が好きな私はやる気をあげるために、或いは眠気覚ましのために音楽を聴く。聴いている間は心地よく、脳が覚める感覚で物事を始める。

 

しかし、少しすると弊害が生じる。特に、歌詞のある曲を聴いていると課題に集中できなくなる。どうしても思い入れのある音楽の方へ意識が行ってしまう。

ただ字面を追っているだけで理解ができないからもう一度読み直す。また文章を書くときは実に単調な文を重ねることが多く、見返すと中身のないものになっている。

課題に集中するために音楽を聴いているはずのに、いつの間にか音楽に意識が傾いてしまう。

これは今でもやってしまうことで、その度に効率の悪さを実感する。

ならせめて歌詞のないBGMを流せばいいとなるが、物による。自然音やピアノを聴いているとき最初は心が安らぐのだが、後々それらすらノイズになってやるべきことに本腰を入れられなくなってしまう。私の場合。

 

課題が終わらないために追い詰められて、鬱々とした気分でイヤホンを外してみると、これが案外集中できたりする。結局無音だと、内容がしっかりと頭に入り、深く考察できていることが多い。エネルギーがそこに一点集中しているためだ。

一方音楽を聴いていると、眼前のタスクだけでなく音楽そのものにエネルギーを分散していることになり意識はそのどちらかに傾いてしまう。

上記は言うまでもない傾向で、課題をやるならそれだけに絞るべきである。考える時間や取り組み具合は中身の充実度に比例する。何よりだらだらとやるよりよっぽど身になると思う。

 

やるべきことを前に気分が塞ぎなかなか手を付けられないために、刺激というか楽しさを求めて再生ボタンを押したくなるのは仕方ない。

ただし、机やPCに向かい出すことが出来始めたあたりからボリュームをかなり落とすとか、もう機器を置いて無音でやり出す切り替えや調整が必要なのではないかと、ふと考えた。