「知らんけど」という言葉

「~なんだと思うよ。知らんけど」「~でいいんじゃない?知らんけど」

場所を問わず、この口癖のように使われるイメージのある「知らんけど」という言葉について少し考えてみた。

 

 

もともと、この「知らんけど」は関西弁の言い回しである。「自分の見解に責任を持てない」という旨が込められているそうだ。

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自分の発信する内容について断言しないことで、誤解や対立を避ける。「あくまで自分の意見ですよ」と言いたいときに使うとのことだ。

 

私は、この言葉の出所をそれこそ知らなかった。

都内でも対人間でその言葉が使われている例を見聞きしているからだ。

当初の印象としては「便利な言葉だなあ」とは思っていた。自分の思うように言った後にそれを付け加えることで、一気に責任を回避できる。さらに「知らないんですけどね」ではなく、「知らんけど」という表現が好感度を左右するような言い方になっているところが気になっていた。

 

 

もちろん大阪弁の言い回しであることを知れば、この表現は親近感というか堅苦しさのない印象であるとして納得できる。

しかし、関西でもない都会とかでこの言葉が使われているのを聞くと、なんだか自己の責任逃れのためだけに多用する人が増えている気がする。

それはSNSでもそうだ。何でもないことでも、受け狙いや冷笑的に表現したいがために文末に添えている投稿を見かけることは少なくない。

確証の無いことに関してはだれも責任を持ちたくはないであろうし一々気にしなければいい話なのだが、文末にあるとないとではその人の発言の印象が違うと思う。

「いや、その言葉は書かなくていい」とツッコミたくなる。推測や個人の価値観に過ぎないという表現は、他にもあるだろうと考えてしまう。

ネタで使うのも流行りに乗って使うのも個人の自由だが、あまりに使う頻度が多いとそのうち自分の言葉が信用されなくなってしまうのではないかと危惧している。

結局は自分の発言に責任を持つことを意図的に回避しているのだから、客観的に見たときに疑いが晴れない印象を受ける。

 

誰にでも口癖はあると思う。

そのなかで、私自身もこうした言葉の多用は気を付けていきたい。